南田修司のG-netブログ

NPO法人G-net代表理事 南田の個人ブログ
チャレンジの伴走者として一緒に考え、一緒に走る。地域産業のイノベーションと、担い手となる若者が育つ環境づくりに取り組んでいます。
「若者のキャリア支援」「組織のチーム力向上、人材育成」「経営者の右腕」「中小企業の組織開発」「人が育つ組織作り」「インターンシップ」「コーディネート」 

カテゴリ: コーチの視点

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※実家の犬。安心しきっているような気がする。。。

うちには、モデルになる上司がたくさんいるのに
うちには、色んな経験を積める仕事がたくさんあるのに
うちには、望めば色んな学びを約束できる研修があるのに

「なんで、成長しないんだろう?」
そんな風に頭を抱えている経営者や上司の方って結構多い

悩んだらいつでも相談してきていいって言ってあるのに
やりたいことがあったらどんどん提案していいよって伝えたのに

「なんで、動かないんだろう?」
そんな風に首をひねらせてる人も多そう


でも、そこに整ってるかどうかを一度確認してみてほしいのが、”安心感”


仕事ができる上司であっても、そこに憧れがなければ、学びはない
色んな経験のチャンスがあっても、やらされてるのとやっているのとは差がでる
研修もまったく一緒

相談したら解決するかもしれない、でも相談しにくかったらやっぱりやらない
提案したいことがあっても、否定への不安や責任の重たさを感じたらやっぱりやらない

前向きに取り組めれば、色んな成果が見込めることってあるけど
そもそも前向きになるための土台が整っていなかったりする

それが、安心感だと思う

「そんなの甘いだけでしょ?」
って突っ込みが入ることもあるだろうけど
甘いとか甘くないとかどっちでもいい

甘いでしょって言ってて、意識が変わるならOKだと思う。でも変わらないなら?
ってことを上司側である僕たちは自分に問わないといけない

for correctness / for mission / for team
そのどれでもなくて、

for performance

なのかなと。チームも大事だし、ミッションも大事だけど、
結局、今より一歩でもより良い状況にしていく、そのためにどうするか?
そこに集中していくことが大事になるのかなと
で、そのひとつが”安心感”を環境の中に整えることではないかと思うわけです

見通しの不透明さ、業界全体の課題、企業としての課題、自分自身の課題
色んな不安やプレッシャーの中で働かざるを得ない状況の中で
整えられる程度の安心できる環境づくりは、マネジメント側の役割じゃないかと思う

ダイバーシティや働き方改革もそのひとつ
多様性を認める、多様なコミットメントの形を保証する
それって、潜在的な生産力の活用という観点ももちろんあるけど、
それ以上に、不安なく仕事に集中できる環境づくりだと思う

先日ブログでUPした関係性を含めて評価するという視点も同じだけど
誰かに向けてる指先は、それと少なくとも同じくらいには自分にも向けたほうがいい

でないと世知辛い社会だなと感じちゃう
もっと、安心フィールドを展開したい




Q、自分の周りに安心フィールドを整えるためには何ができるだろうか?

※加筆しました。
仕事を始めて10年近く、未だに、日々たくさんの課題に直面する

インターンシップのコーディネートをしているとインターン生からよく出てくる言葉がある
「どうしたらこの課題を解決できるかをずっと考えているんです。でもそれが思いつかなくて・・・」って

様々な課題に直面すると、どうしたものか??なんて思案しながら
現状を打破するための一撃必殺のアイデアを練り練りしてしまう

でも、その課題に直面してからどれくらいの時間が経過しているだろう?
なんとかしたいと思い始めて、なんとかするための必殺技を考えていて(探していて)
結果的に、どれくらいその課題や壁は崩れそうになっているだろう?

大抵の場合、その課題に対しての進捗なんてあまりない
むしろ、溝は大きくなっている、問題は広がっている。。。ことのほうが多い

スパッと課題を打ち抜きたいって思っている間に時間は過ぎていたりする
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※イメージです。ハワイで射撃体験をしたときのもの。笑

「一撃必殺なんて実は存在しないのだ」

歴史の中に登場する英雄や未来を切り開く先駆者の成功談を耳にすると
ターニングポイントになる一歩や出会いがあり、それがその後にうねりを生み出していたりする

そんなドラマチックなストーリーに、僕らの心は捉われてしまう
ドラマチックな一手を、自分も打ってみたい!!そんな欲求が心を満たしてくる

けれど、どこかで気づかなきゃいけない
ドラマは、積み重ねの中でしか生まれていないことに

日々の苦しい練習に耐えぬいた先に生まれた渾身の一振りが試合を決める
何百回、何千回の失敗の先に誕生する技術が生まれる

意図して実現したこともあれば、ぽろっと零れ落ちるように実現することもある

見落としてしまいそうな、歴史の細部に埋もれた背景や複雑な人間模様
ひとつひとつが、今を生み出す歯車のように偶然を必然へと変えていく

もう一度、立ち返ってみよう

僕らが、現状打破を期待して、そのための一撃必殺の打ち手を探している間に
どれだけの時間があったろうか、どれだけの挑戦機会があったろうか
その間に本当はできたかもしれない小さな打ち手はなかったろうか

もし今、何か答えになるような必殺技を探しているなら、
直面している課題に対して、必殺技じゃなくていい、小さなパンチをひとつ打ってみよう

誰でもできそうな、小さな改善くらいの一手から始めてみよう
「悩んでいるんです。」って誰かに言葉にすることから始めてみよう

そしたら、そこからまた新しいドラマが生まれてくる
そんな気がする

「一撃必殺の幻想を捨てよう」

可能性はグンッと大きくなってくる



Q、今、どんな課題解決の必殺技を探してしまっているだろうか?

※加筆しました。
インターン生の相談に乗ることが多いわけですが
いっつも思うことが1つあります

たった1人で、与えらえた課題に必死になって取り組む姿
それってどうしてかなー?と

仕事をし始めるととっても良くわかりますが
1人でやれる仕事ってどんなに天才だとしてもしれていて
多くの仕事は誰かの力を借りながら片付けられている

でも、なぜか
“自分”にこだわってしまう
“自分”でやらなきゃいけないと思い込んでしまっている


で、そんなことを考えていた時に
“力”というイメージの違和感に出会う

コミュニケーション力、企画力
デザイン力、調整力、プレゼン力
たくさんの“力”を身に付けるとはどういうことか?と

「僕にはコミュニケーション力があります」
それは何によってはかられるだろう?

会話をしてみて
誰かとのやりとりを見てみて
営業に同行してみて

彼女とうまく話せる
友達とうまく話せる
同僚や上司とうまく話せる
取引先とうまく話せる

コミュニケーション力を測定しようと思うと
シーンを無視できないことは明らかで
力の測定は常に状況と隣り合わせだ

状況に埋め込まれていると言っていい

そう考えるならば
“力”は個人の中に固定的に存在しているものではなく
“力”は関係性の中に埋め込まれていると考えるほうがしっくりくる

共に仕事をするパートナーが変われば
発揮できるパフォーマンス(=つまり、力)は変化する

扱うテーマやリソースが変われば
やはり、生み出せるパフォーマンスが変化する

つまり、自分の力を最大化させるということは
最大化する関係性を築くということに他ならない


「あいつは能力がない」
もし、そういう言葉を上司として口に出しているとしたら
そっくりそのまま自分にかえってくる。これは逆もしかり

上司と部下との関係性において
力が発揮されていないと捉えたほうが良いのではと思う(自戒もこめて)

上司としての能力、部下としての能力は
それぞれに内在しているものではなく、二人の関係性に埋め込まれている

こう考えてみたときに
自分自身のマネジメントに対して新しい視点がうまれる




Q、今の個人への評価を関係性にあてはめたときに、どんな視点が見いだせるだろうか?

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